逆転の発想 と Serendipity (セレンディピティー)※
鈴木章 (北海道大学 名誉教授)
昨年10月はじめにノーベル化学賞の発表以来、マスコミの人達とお会いする機会が増えたが、その一人と話している時、我々が行った有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物とのクロスカップリング反応のことを聞かれ、その動機について問われた。
その時私は「他の有機金属化合物に比べて、有機ホウ素化合物はイオン反応に安定であるため、有機金属化合物のように有機合成に利用されていなかった。しかし、安定な性質は欠点とばかりは言えない。例えばグリニヤ試薬や有機亜鉛化合物は反応性が強いため、使用する溶媒中に少量の水があると、直ちに分解してしまうのに対し有機ホウ素化合物は安定で分解することもない。これは長所とも考えられるので、その有機ホウ素化合物を利用することを考えた」ことを説明したところ、その記者さんからは「逆転の発想ですか」と云われた。
確かに、人間の人生にはこのようなことがあるのかも知れない。私が1963年
Purdue大学のH.C.Brown 先生のところへ留学したのは同先生がその数年前に発見された Hydroboration 反応を勉強するためであった。その当時Brown研には30名以上の共同研究者が世界中から参加していたが、彼等の多くはHydroborationは面白い反応であるが、そのようにして合成される有機ホウ素化合物は化学的に安定で有機合成の有用な中間体にはならないだろうと考える者が多かった。
しかし、私は前記したように安定な性質は欠点とばかりは言えないと考え、札幌に戻ってからこのように安定な有機ホウ素化合物を活性化して有機合成に利用する方法を見つけるべく研究をはじめた。この当時そのような研究を行っていた研究者は世界的に見て非常に少なく、Brown先生を除くとドイツ、ソ連で僅かの人達が研究を続けている程度であった。
我々の研究は思わぬことから進展した。はじめ我々はEq-1のように有機ホウ素化合物はα,β-不飽和ケトンと反応(配位機構)し、飽和ケトンが得られるのではと考え反応を行ったところ、期待通りの生成物が高收率で得られることを知った。しかしその後この反応はそのような配位機構で進むのではなく、有機ホウ素化合物が少量の酸素と反応し、容易に有機ラジカルを生成し、ラジカル連鎖機構(Eq-2)で進行し飽和ケトンを作ることが明らかになった。

このように、逆転の発想から思わぬ発見が生まれることがある。これもSerendipityの一つかも知れないが、研究を続けていると、ふとした偶然をきっかけにして、幸運を掴み取ることがあるが、そのような能力を常日頃から養うことが大切なことだと考えられる。そのためには、@ 自然を直視する謙虚な心、A 小さな光をも見逃さない注意力と B 旺盛な研究意欲が必要なのではなかろうか。
※Serendipity(セレンディピティー)とは
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力や事象を指す言葉。
自然科学においては一見無関係な結果を得たり失敗したりしても、そこから見落としせずに学び取ることができれば、成功に結びつくという意味で語られることが多い。(Wikipediaより) |
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